サクラダがみたもの

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2019-04-26,27:第2回 かが屋単独ライブ「瀬戸内海のカロカロ貝」

かが屋 第2回単独ライブ「瀬戸内海のカロカロ貝」@北沢タウンホール

 

わたしは強欲な壺の擬人化なので、チケット2枚ドローして、両日ともいった。普段は「たくさんのひとがみて、よかったを共有したい~」と思うけど、なんか自分の強欲な部分が勝ってしまった。他のひとに最高の2時間をゆずるより、わたしの人生の2時間を最高にしたいと思った。かが屋が提供してくれるものは、恐らくこれから、わたしが生きていく上で、大事になる気がして、機会を逃したくなかった。

 

 

 

何を書けばいいんだろう、本当に、誰かに読ませるような文にはならないと思うんだ、特に。今回は。感情がまあまあ巨大だから。

 

■頭でっかちで言語過多な総じての感想

リアリティと何気ない一貫性、生活の手触りと日常の香り。微かで、しかしそこに確実にあるもの。そういうものがわたしにとってのかが屋のコントの好きなところのひとつで。

わたしは他者に出会い、愛するという行為がめちゃくちゃ好きなので(自身を相対化できるから、幸せな気持ちになるから)気兼ねなく愛せる他者に出会うということは、とても精神的にありがたいことなのです。

自分のなかに強く人格の存在を信じられると、そこにわたしは他者を認識します。なので、二次元のキャラであったり、動物であったり、物であったり、集団であったり、概念であっても、そこに人格の存在を感じられればわたしにとっては愛すべき他者です。

わたしはかが屋のコントのキャラクターを「人格が存在する」と考えられるからこそ、例えばわたしはみきぴょんにもさやかちゃんにもりっぴにも、結構ガチな思いで幸せを祈れるんだと思うんですよ。

そして、複数の行為の連続して行う存在を人格足らしめる要素というのは、リアリティと一貫性なのかなーと思います。他者のパーソナリティは表出する行為を通してしか観測できないし、全ての行為には何かしらの意思が宿っているのは恐らくそうなのだけれど、でも十分な観察がなければ一貫性どころか表出すら認識できなくて。更にその観察して捉えた行為をどのように解釈するか、というのがまた、めちゃくちゃその解釈者の独自性、リテラシーが問われると思います。人格をばらして、一つの人格から表出したということを感じさせる何気ない一貫性をもたせ、「間違えなく存在するもの」であるというリアリティという証左を添えて、更に観客が適切に再構築できるだけの情報の取捨選択を行い、コントに沿った形で表現する。これは(めっちゃバカみたいないいかたですけれど)すごいことです。

他者というのは、結局どこまでいってもブラックボックスで、無数の入力と出力を繰り返して、ようやく多少の輪郭が見えてくる存在だと、思っています。この入出力の情報の集合体としてばらされた人格の存在が舞台上で表現され、それを認識して再構築された際に突き動かされる感情というのは「愛おしさ」なんですよ、わたしの場合は。「この人格は存在する」というものは、かが屋のコントではもう当たり前のように起きていて(落ち着いて考えると奇跡的なのにね、ルシファーさんのR-1決勝と一緒だね)そのうえで「愛おしいな」と思わされるのです。それって、多分人間の魂の重さが21gみたいなことで。宿るのはもう生活の手触りと日常の香りのような、定義しにくいもの。微かで、しかしそこに確実にあるものだと思うんです。「この人はいる、この人格は存在する」と信じられることだけではなく、そこに肯定的な感情が巻き起こるのは、その人格のかけらを「愛おしさ」を軸に抽出してくれているんだろうなって思うんです。ここまで含めて、この微妙さ加減が、やっぱりすごいなって思うところなんです。わたしの足を舞台に向かわせる理由なんだと思うんです。

今回、すごく書きたかったのは、冒頭にあげたリアリティ、何気ない一貫性、生活の手触り、日常の香り、それらを「愛おしさ」を軸に行為を抽出してくれる。つまり、その他者の在り方への愛が根底にある気がするんですよ。うまく、ここら辺、思考がまとまっていないんですけれどね。

なんだろうなー。こういう人たちがこの世の中にいるんだなって思うことや、こういうコントを作ってくれるひとがいてくれること、こういうコントを支持するひとがたくさんいること、それは、世界をより信じられるようになるというか、色付かせるというか。なんか、これは営みの中でも、凄く大事なことを、僅かだけれど確実に、上向かせてくれるものなんですよ。

わたしはなんにせよ、生きていかねばならなくて。その生きていく世界の見えかたは完全にわたしの目の位置次第、捉え方次第なので、やっぱり、わたしはわたしの人生を愛して行くために、他人を愛していかねばならなくて、そのためにはかが屋のコントを見ていくことは、多分、しばらく必要で。だから、あー、強欲ではあったと思うけれど、その分の幸福を手にいれて、何かしらでこの世界に還元したいなって、思います。そういう、こととかを、今の時点では思っております。

 

■個々のコントのよかったところの話

 

1.コンビニ

1日目と2日目、結構ちがかった気がする。(個人的に、流れは2日目の方が好きだけど、加賀さんのありかたは1日目の方が好き、みたいな感じ)、135番を探す加賀さんとそれを微笑みながら見てる賀屋さん。加賀さんが回ってからスイッチ押すところ。賀屋さんが胸を押さえるところ。

葛藤や勇気や個々の思考は常に存在しているが、それはその人の裡にしか存在しない。観客のみが、第三者のみが、それを知りうる。

 

2.リズム

賀屋さんの右手のくいって感じ(なんかキレがいい)。なんか賀屋さんはたぶん、お調子者で、友だち多くて、いいやつ。頑張っちゃうやつ。

1日目の後にあった鶴の間の「フタオヤあるある」が、めちゃくちゃタイムリーになってて、2日目にニヤニヤが追加されてしまいましたね。

 

3.ランチ

自堕落な賀屋さん(わかる、わたし自堕落だからよくのど飴とか会社のひとがくれたお土産のお菓子とか、カバンのちっちゃいポケットに入ってるのに後日気づく)、加賀さんのゾーン入っちゃってる感じ、右手に輪ゴムはめてる賀屋さん、コーラをちびちびのむ賀屋さん、においを執拗にかぐ加賀さん、「次なに?」という問いから「大学生同士」と察せるところ。

わたし、多少人の顔を覚えられないとこあるから、大学で会っためっちゃげっそりしたひとが、友人か別人か迷った記憶ある。あっちから声かけてくれて金がないから飯が食えないと聞けてよかった。何を話したか、どうしたのかは忘れちゃったんだけど。

 

4.親友

二度目の賀屋さんのポーズ、家に入るときは靴を揃える二人、シンクロナイズド加賀さん、寂しいんだろうな加賀さん、ちょっとひどい言い方してもいい関係、メガネをかけている賀屋さん、あとオチ。

なんだろう、コントとしては、これが一番好きなんですよね。市役所とかの方がドラマチックなんだと思うんですけれど。ほとんど何も起きない。何も動かない。でも、その瞬間がラブリーでいとおしい。楽しくて、幸せ。親友ってタイトルが、もう、いい。なんか、一番感情が動く。

 

5.市役所

本当にりっぴ。まじでりっぴ。いい人だけどちょっとばかでやさしいひとというけんちゃんの人格と、りっぴという人格の組み合わせが、奇跡的に最高なんですよ。色々考えたんですけれど、普通にりっぴっていう女の子が大好きなんですね、多分もう最終的に突き詰めればそれです。

わたしは、りっぴという女の子が、すごく好きなんですよ。女子校にいたからか、年下の女の子に時々バカモテするせいか、すぐに女の子のキャラクターにめちゃくちゃ思い入れができてしまい、めちゃくちゃ好きになる。りっぴという人格のリアリティが、あのコントの白眉だと思うんです。

 

6.電話

お花屋さんっていい仕事だな。「世界に絶対に必要な仕事」とはなんだろうなって思うと、お花屋さんとかそういう「豊かさ」の仕事は違うんだろうな。違うからこそ、素敵なんだろうな。

加賀さんのやるアホの子は本当にかわいらしくて、良い。優しくて、ちょっと周りをなめてたりして、でも別に悪いやつじゃなくて。花束を作るってなったときの喜びようとか。花がある生活って、やっぱりいいよね。

 

7.始発

自分をカッコよくしたい、ドラマチックをしたい、ロマンチックに浸りたい、というのはもちろんあると思うのだけれど。わたしもカッコよくて、賢くて、センスいい人間としてロマンチックを提供して尊敬を集めたい。現実は、そうではないのかもしれないけれど、それをはにかんだり気まずくなったりしながらも、カッコつけたりしたいし、そんな「カッコいい」わたしをほめてくれるひとがいてくれればうれしい。

カロカロ貝に一緒にいった友だち、偶然西片上駅に実家があるらしく、「イノシシが出るほど田舎ではないし、一時間に一本だから隣駅の緊急停止ボタンで電車が詰まるとかありえない」とかいいつつ、なんか嬉しそう。ふるさとがあるってそういうことなんだろうな。

 

以上です。以上にします。

広告にもレポにもならない文、本当に申し訳ない。