2リットルの発泡酒

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かが屋をほめる

かが屋、もうみんな大好きじゃんねぇ。東京ライブ全クリだよねぇ。彼らが最高なこと、みんなすでにご存知かと思います。

わたしが今、わざわざほめる必要あるの?といわれたらわからないんですが、面白い、笑っちゃうっていうのだけじゃなくて、ここがよい、たまらん、好き、っていいたいのでほめますね。

それに、賀屋さん本日お誕生日だし。1993/2/19生、めでてたい。そして細田さん、素敵動画ありがとう。

(そもそも、好きなものをほめてるときって、脳からなんか出てる感じするじゃないですか。ドーパミン的な。これは誰かになにかを伝えるというコミュニケーションよりも、わたし個人がなにかを祝福する寿ぎという行為なので、正しいとか間違ってるとか、まとまってるとか矛盾してるとかではなく、ほめて喜んで祈ってるひといんなーというのを誰かしらが字面から感じてくれればよいな。)

 

オシャレな顔芸、みたいな評価、めっちゃ広まってるしご自身でもおっしゃってるし、いい得て妙だなぁって思います。(初出どこ?)

それから、日常を切り取るコント師、みたいなのもご本人たちが(ボケで)おっしゃってるの、聞いたことある。

なので、誰かに説明するには、日常の喜怒哀楽を表情でみせるコントだよ~、みたいな感じにします。

もちろん、めちゃくちゃ面白いしウケてる。人気者。

 

でも、それを踏まえて、ホントにかが屋のコントでよいなぁ~すき~ってわたしが思う点が三つあって、それについて書きますね。

①状況の掬いとり方、②伝え方、③伝わるものの中身にあるもの、です。

 

まず、状況の掬いとり方。客観的にみたら些細な出来事でも、個人的には大きく心を動かされること、ムカついたり、めっちゃ悲しかったり、やましかったり、恥ずかしかったりすること。誰かに話しても、話した相手は次の日には忘れてるかもしれないこと。もしかしたら、誰にも話さないかもしれないようなこと。でも自分はずっと覚えてるようなこと。その経験を丁寧に掬いとるような。

要は日常を切り取ってるってことでは~?って気もするんですが、いや、今回すき~って言いたいのは、その、当該の人々の感情に寄り添うような掬いとり方なんですよ。

その極めて個人的で、しかし大きな感情のうねりは、個人的だからこそ明確に言語化されたりせず、所作のみに押し留められたりもする。しかし、表面的になっていないだけで、存在することは間違いなく、それどころか、とても複雑かつ大きな問題だったりするのかもしれない。それをコントに仕立てる際の、人々をまなざす視線の優しさよ。

なんか、個人的には日常を切り取ってるというか、日常の再発見をしている、っていう印象です。人々の日常は、やはり全て同様のものであると同時に、全て異質なものであるというような。全くの他者の中に自身との共通点を感じ、同時に共感の中に分かりきれない他者を感じさせる。他者の日常に同居する普遍と特殊の再発見。

当該の経験を誇張したり、省略したりすれば、分かりやすく普遍と特殊を際立たせることができるのかもしれない。しかし、コントの中の出来事は、その登場人物にとっての事実であり、彼らの経験する過程をなるべく再現するような形で追うことによって、観客は追体験をする、とともにその登場人物という他者に出会うことができる。

観客にとって、水槽にいる魚の観察を通じて海での生体を知るような、限定されて数分で完結する世界のなかにいるからこそビビッドに見いだせるその経験、そしてそれを通じて出会う、その登場人物の人間性。一方的に観察する立場から、その前後にあるであろう登場人物の人生にまで想像がいくこと。わたしはとてもいいなぁって思うんです。

もちろん、わたしは彼らのコントで笑うんだけど、それと同時に悲しくなったり、切なくなったりして、彼らの人生を応援したくなる。その気持ちわかるよ、と抱きしめたくなる。人間の人間たる部分の肯定と慈愛、人間~ヒューマニズム~ってなります。

そんな感じで、めちゃくちゃ心の機微を丁寧に掬ってくれて、感情移入させてくれて、その人たちを好きにさせてくれる。

 

二つ目。掬い上げたものの伝え方。他人の理解を当てにしているところ。リテラシーを信じて、情報を削って、余白を残す感じ。

コントは数分の寸劇であり、その中で与えることができる情報は限られてる。だから最初の数秒、どんな状況かもわからないコントも結構あると思います。(前にコント師・トップリードが「漫才はすぐお客さんが世界に入ってくれる、コントは時間がかかる」的なこと言ってたなぁって思い出したし、少しだけ寂しい気持ちにもいまなった)

笑う前に「誰?」「何してる?」「どういう状況?」を考える必要があって。更にかが屋のコントは説明感の強いセリフはあまりなく、事実の提示のみで物語が先に進むので、じっと見て、考えて、何が起きているのか、考えて、積極的理解を行わねばならない。

更に衣装も基本的にTシャツにジーンズ。たまにエプロン。極めてシンプルで、小道具があるときも多分いつも片手で持ちきれるくらいの量。女性役のときには賀屋さんがおさげにしてヘアピンをつけるだけ。(関係ないんですけど、この女の子めちゃくちゃかわいくて癖なんでアイスクリームとかパフェとかご馳走してあげたい。自分の対面で笑顔で甘いもの食べるこの子をみたい。/年配の女性をされるときは普通に下ろしてるのとか一つ縛りのも見たことある)

かなり少ない情報の組み合わせから、観客は解釈を組み立てていく必要があると思うんですが、しかしその過程が心地いいんですよ。提示される情報は積極的に理解したくなるような、ひきつけられるもの。そして理解しようとすればちゃんと理解できるような情報。これって、わからないけど、調整めちゃくちゃ難しいと思う。すごく観客や観客のリテラシー、そして自分たちの表現を信じないとできないんじゃないだろうか。

それに先程好きって言ってた人々の抱く感情の機微って名前がついていないので、言語化するのは多分ものすごい紙幅を割く必要がある。あるいは、ものすごく余地をつくって、相手へ解釈を投げなければいけない。下手なセリフで語ろうとしてしまったら、それは矮小化しちゃうけど、何も言わなければ何も伝わらない。語りを制限しつつもなくさず、適切や余白を保ちつつも自然に理解できるだけの情報はある。

その加減がうまく媒介となれば、観客の想像力に経験のリアリティが宿るのだろうなと思うのです。

その節制の効いた表現の美しさは、ため息がでちゃいます。

 

三つ目。そして伝えられたものの中身にあるもの。ときどきびっくりしたり、裏切られたりするところ。

二つ目で言及したように、与えることができる情報が限られているし、おそらく調整している。それを逆手にとる手法。与える情報をあえて限定し、観客はその余白に任意で「そうだろうな」を代入して解釈させておいて、「そうだろうな」を、裏切ってくる。驚かせてくる。

ここに見いだせる他者の他者性。勝手に普遍で塗りつぶした余白に特殊が潜んでいた。理解できた気になってる自分が、全く理解できてなかったと衝撃を受ける瞬間。

わたしが言及するまでもないと当然視していた仮定は、登場人物にとっては言及するまでもないほどに間違った仮定だったりする。

私が勝手に抱いていた傲慢さを看破される気持ち。

しかしその看破すらも優しく、誰かを責めるわけではなく、シンプルな事実として自然と明らかになる。

他者は他者として存在していて、その事実をまず認識させられる。

 

そんな感じで、優しく節制の効いた手法で他人の他人たる部分に気づかされ、そこから自身を振り返ることができ、なんというか、最終的にはすげー優しい気持ちになります。みんな、なんか、色々事情があって、でもきっと話し合えば普通にわかるところとかもあって、いい人なんだろうなって思えます。あんま小賢しく決めうちしてやってくの、失礼だなって。

 

具体的な話を少しします。

みきぴょんのコント。

https://youtu.be/05D5kn9mShs

あのみきぴょんのやましさと、不安、怒り、やつあってしまう感じ、なんだか痛いほどわかった。ニートで引きこもりをしてたときのあのときのわたしの気持ちと似てる、と思った。

今のわたしはなぜ年金を払うべきなのか、制度を知ってるから説明できるけど(事故などで障害を負った場合などの障害年金の受給条件に関わるので、老後のことのみではなく、すぐ先の未来のリスクヘッジとして払うべき)

それでも、わたしがみきぴょんに説明したところで、きっとあの不安な顔のままにさせてしまう。お得意の理屈をこねても、押しきれないと思う。

あんなにみきぴょんの気持ちがわかった気がしたのに、わたしは色々知ってるはずなのに。みきぴょんはけんちゃんの、感情論に救われるんだね。すこしびっくりしたし、腹が立った。わたしは理屈しかこねらんないから、みきぴょんを笑顔にできない。無力感にうちひしがれるけど、でもそんなみきぴょんが、どうか幸せになってほしいって思った。今でも本気で思ってる。

そんな感じで、めちゃくちゃ心の機微を丁寧に掬ってくれて、感情移入させてくれて、その人たちを好きにさせてくれる。

なんていうか、その人の人生への愛と肯定じゃないですか。

 

で、コントではないところ、最後に一個ほめるんですけれど、絶対にお客さんにお辞儀、するでしょう。

マイナビラフターナイトっていうラジオのネタ番組の公開収録に行った時。ラフターナイトって暗転しないんで板付きだとコント師は普通になんか出てくることになっちゃうんですけど。

だいたいの人たちはまあ、スタンバって止まってるんですが、かが屋、お辞儀したんですよ。つむじ見えるようなやつ。二人揃って。その瞬間、わたしはこの人たちを応援しなきゃって。好きだって心のそこから思いました。思いました。次の月のラフターナイトもお辞儀してたんで、いつもお辞儀するんだなって、思いました。

他のコント師がお辞儀をしなくても、気にしないです。別に無礼とも思わないし。そういうもんだと思ってるし。

なのに、しかもラジオだから音に乗らないのに、偶然目の前にいるだけのわたしたちのためだけのお辞儀。こんなことされて、好きにしかならなくない?

 

なんかつかれちゃったので、執筆はそろそろ一旦おしまいにしますが、最高だよね最高だよね。最高なのよ。

なるべく、このブログは経験した事実を叩き台にして書いていきたいので

なんか経験がたまったら他の経験、他の人たちについても書こうとおもいます。

お笑いに限ったって、最高な出来事はこの世に多い。